長谷川穂積ほどカッコいいボクサーはいない!! 長谷川穂積のボクシング人生

皆さん長谷川穂積というボクサーはご存知でしょうか。ボクシングファンはもちろんボクシングをあまり知らない方でも長谷川穂積というボクサーは知っている人が多いのではないかと思います。長谷川穂積の人生はまさにドラマや漫画の主人公に出てきてもおかしくないと思う。

今回、この記事では長谷川穂積のボクシング人生を振り返りながら長谷川穂積の凄さについて語っていきたいと思います。

 

長谷川穂積選手は1980年12月16日、兵庫県西脇市生まれ。元々は元プロボクサーの父親の影響で小学校2年生の時からボクシングを始める。小学二年生ながら毎日一キロのランニングを欠かさず走った。さぼったら父親から叱られる。雨の日も風の日も練習を休むことを許さず練習をしていった。

しかしそんなボクシング生活が嫌で反発し一度ボクシングから離れる。

 

その後ボクシングにまた戻ってくる。

千里馬神戸ジムの門をたたき、1999年11月22日プロデビューを果たす。その後順風満帆のプロボクサー生活を送っているかと思われるかもしれないが、実はそうでもなかった。最初の5戦は3勝2敗と普通のボクサーとさほど変わらなかった。

 

その後勝ち星を重ねていきwbc世界バンタム級王者ウィラポン・ナコンルアンプロモーション選手との戦いが決定する。

 

知らない人のためにここに記述しておきますが対戦相手のウィラポン選手はとんでもなく強い選手です。当時wbcバンタム級王者辰吉丈一郎選手を二度にわたりKO勝利、そして、その後世界王者になり7度の防衛を果たした西岡利晃選手を四度にわたって退けた最強のチャンピオンです。

 

2005年4月16日ウィラポン・ナコンル・アンプロモーションとの対戦。激しい戦いの末、見事判定勝ちを収めwbcバンタム級世界王者になる。

長谷川は世界王者になるもこのころはまだ時計屋のアルバイトを続けていた。

その後2006年に、二度目の防衛戦でまたウィラポン選手と会いまみえることになる。結果は予想を超え長谷川穂積選手の9RKO勝利を果たす。

 

長谷川は引退後ウィラポン選手とタイの現地で再開することになる。その時の様子は下記の過去記事に記してあるので是非見てほしい。

 

jouhoukotarou.hatenablog.com

 

四度目の防衛戦の後、所属の千里馬神戸ジムを移籍する。

というのも長谷川と二人三脚で歩んでいたトレーナーの山下正人が千里馬神戸ジムから独立し真正ボクシングジムを新たに立ち上げるため、それについていく形で長谷川も移籍した。

 

ここで少し山下正人会長および真正ボクシングジムについても記述しておくことにする。長谷川穂積選手の強さの秘密の一つに山下正人会長があることは確かだ。山下会長はもともとボクシング経験は無くなんと、マル暴刑事であった。その鋭い洞察がんで対戦相手を研究し的確に長谷川穂積に指示を送り勝利を重ねていった。長谷川と共に成長し長谷川と共に歩んだ名トレーナーだ。

2006年には日本のボクシングトレーナーに与えられる最高の賞、エディタウンゼント賞を獲得する。真正ボクシングジムは立ち上げに当たって同時に高山勝成も移籍してきて立ち上げ当初から世界王者が二人いる異例のジムとなった。

 

さてここで話を長谷川穂積に戻す。真正ボクシングジムで新たにスタートを切った長谷川穂積。そこからさらに怒涛の快進撃が始まる。

5度目防衛に見事成功。

しかもその後の防衛がすごかった。

6度目の防衛戦クリスチャンファッシオ2RKO。

7度目の防衛戦アレハンドロバルデス2RKO。

8度目の防衛戦ヴシマリンガ1RKO。

9度目の防衛戦ネストールロチャ1RKO。

10度目の防衛戦アルバロペレス4RKO。 

 

おそらくこの時に長谷川のボクシング中継をしていた日本テレビは相当苦労したと思う。なぜなら長谷川が倒すのが早すぎてボクシング中継が余り過ぎていたので、昔の世界王者の映像を差し込んでいたりして対応に追われていたと思うからだ(笑)。

 

ちょっと急ぎ足で防衛の様子を記述したがこの防衛戦の裏にもやはり山下会長の戦略が凄かった。アルバロペレス戦では同じサウスポー同士の対決になる。ボクシングでサウスポー同士の対決になると右に回るのがセオリーなのだ。しかし会長がとった指示はパンチを外し左に回りパンチを打ち込むというものであった。こうした緻密な戦略は長谷川の支えになっただろう。

 

もちろん長谷川もかなりの努力をやっていた。練習はもちろんだがボクシングの宿命減量だ。長谷川は11kgもの過酷な減量とトレーニングをやりこんでいた。その結果圧倒的なパンチのスピード、カウンターの技術、まさにボクシングの理想とされる打たせずに打つというスタイルで強さを誇った。

そのパンチの強さを裏付けるべく長谷川は山下会長とのミットうちでは1秒間になんと10発ものパンチを放っていたのだ。

 

またこのころになると息子も大きくなり娘も成長していて妻や家族の支えもあっただろう。世界戦で勝つと長谷川は子供たちをリングに上げ抱っこしていた。そうして、日本ボクシング界のエースといわれるまでの存在となっていた。

 

そして日本のボクシング界のエースとして期待された11度目の防衛戦の相手はフェルナンドモンティエルだ。モンティエルは当時WBOバンタム級王者で三階級制覇を果たしているまさに最強同士の戦い。王者統一戦だ。

 

当時はまだ日本のボクシング協会はwbaとwbcしか認めていなく長谷川が勝てばwbc防衛だけモンティエルが勝てば統一王者という変則マッチになってしまった。その最強の相手との戦い、

 

結果は4RTKO負け。

 

4RTKO負けとただ書くと伝わらないが、本当にすごい試合だった。王者同士がにらみ合い、フェイントの掛け合い、一瞬でもすきを見せれば持っていかれる。そんな緊張感がある試合だった。

そして4R終了間際カンカンとあと10秒を知らせる音がなって次のラウンドに行くのだろうなと思ったその時おもいっきり右を食らい。ふらつきロープにまでもっていかれ連打を打ち込まれてTKO負けをもらった。

 

しかし、TKO負けを喫したものの長谷川最後まで倒れなかった。ロープに腕を絡ませ何とか倒れまいとする姿はとてもかっこよかった。

 

ボクサーという職業は天か地の二つである。勝てば天国負ければ地獄そんな綱渡りのような生活の中で世界王者を五年間守り続けたタイトルを失ってしまった。

 

この試合に負けた長谷川穂積は顎の骨折などのけがを負った。さらに追い打ちをかけるがごとく長谷川穂積に起こった不幸は続く。

 

最愛の母の死だった

。長谷川の母はがんを患っていてその高額な医療費を長谷川はファイトマネーで賄っていた。

モンティエル戦も試合を見に来ていた母だったが長谷川穂積が負けた試合のリングサイドでのインタビューされたときに「まだまだこれからですよ」「そんなん終わったみたいな言い方しないでください」笑顔で気丈にふるまっていた長谷川の母の姿を見て長谷川の心を支える本当に重要な人なんだなと感じた。長谷川は心から母を愛していたと思う。

天はなぜこのような試練を長谷川に与えるのだろうと思った。長谷川は落ち込んでいたと思う。しかし長谷川は悲しみに暮れる間もなく練習を再開する。

 

そして2010年11月26日wbc世界フェザー級王者決定戦。対戦相手はファンカルロスブルゴス。これまでの減量苦から逃れるためバンタム級から2階級上げての挑戦となった。母親の写真が見守る中勝負は始まる。

そこで見た試合は今までの長谷川穂積のボクシングスタイルとは違った。これまでの相手のパンチに合わせてパンチを返しカウンターでKOを狙うボクシングをすると思っていたが内容は壮絶な打ち合いだった。

確かに長谷川は序盤はカウンター狙いで当てたパンチもあったが2階級上げた壁は厚く、これまでのバンタム級で倒せていたパンチも倒せなくなっていたのだ。この試合は本当に今までにないくらい怖かった。長谷川の負けん気の強さが現れ、ロープに追い込まれても打ち続ける姿に会場がとても盛り上がっていたのは覚えている。

そんな死闘の末、判定に結果がゆだねられた。

 

結果は長谷川穂積の勝ち。

 

日本人として初めての飛び級での二階級制覇であった。あの敗戦からの悲しみを乗り越え獲得したベルトは本当にかっこよかった。そして日本中に勇気と立ち上がる精神を見せてくれた。本当に涙が出るほどこの勝利はうれしかった。そして勝利者インタビューでは母親へのメッセージを送った。

 

これまでを長谷川穂積のボクシング人生を第一章とするのであれば次からがボクサー長谷川穂積のボクシング人生第二幕である。

 

二階級制覇から約半年後2011年4月8日ジョニーゴンサレスとの対戦。ジョニーゴンサレスはとても強力な相手でかつて西岡利晃選手とも戦ったことがある選手だ。結果は長谷川のKO負け。本当に衝撃的だった。試合は何というかあっさり負けを食らった感じであった。

長谷川は何のためにボクシングをしているのか自問自答を繰り返し試合を重ねていく。その後復帰戦を繰り返し何とか世界戦にこぎつけるもキコマルチネスにKO負け。

長谷川の時代は終わったといわれた。しかし長谷川は練習を重ねていく。強い自分を証明するために。もう一度ベルトをまくために。

 たゆまぬ練習の成果の末2015年12月11日の試合世界前哨戦の試合では強い長谷川が見られた。

その後世界戦が決定する2016年9月16日wbcスーパーバンタム級タイトルマッチ対戦相手はカルロスルイス。

 

しかし順調に進んでいた長谷川に不運が起こる。試合49日前左手親指脱臼骨折だ。心配になる中、試合の日は刻々と近づいてゆく。

 

そして決戦の日

みんなの声援が飛び交う中試合が始まる。
この試合は長谷川穂積のいいところでもあり悪いところでもある打ち合いに応じてしまうという展開が見られた。これまでの試合もジョニーゴンサレスとやった時もキコマルチネスとやった時も打ち合いに応じてしまっていたので本当にハラハラする展開だった。でも今回の長谷川穂積は違った。アッパーを食らいロープ際に追い込まれた時も打ち合いに応じたが住んでのところでパンチをかわし打ち合っていた。

 

そして9R終了後相手陣営の判断により試合が終わり長谷川穂積TKO勝利。

 

そして三階級制覇達成。

 

これまで本当に長かったと思う。五年間ベルトのない生活を送ってきた長谷川。そんな長谷川穂積が勝利者インタビューでこれまで小さい頃は世界戦で勝利したらリングに上げ抱っこしていた息子。そんな息子が大きくなり父親より背が高くなって逆に長谷川を抱っこする姿には長い年月を感じ感動した。

 

 2016年11月22日自身のプロデビュー戦と同じ日に引退を決意。

王者のままグローブを置き引退した。

 

どうでしたか、これほどまでにカッコいいボクサーはそうそういないと思います。リアルタイムで長谷川穂積選手を応援してきましたが、順調にいっていた長谷川穂積の頃も、葛藤しながらも最後までやり遂げて世界王者になって引退していった長谷川穂積も本当にかっこよくあこがれ続けました。本当にボクシングが好きでこのような選手がいてくれてよかったなと思いました。

 

 

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